2018.09/28 [Fri]
「幸せな時間」
久しぶりの投稿です。
先週の連休も精力的に動き回りすぎて、少しダウン気味( ̄▽ ̄;)
何歳になってもつくづく「じっと出来ない性分」です。
連休は、「実家行き」がメインでした。
丁度娘二人とタイミングが合い、3人揃って行く事になりました。
新婚当初から、旦那は出帳が多く留守がちの生活。
嫁いでいる手前頻繫に帰る訳にはいかなかったけど、
祝祭日とつながった連休の際にはよく帰っていました。
まだ幼い娘二人を連れて電車に乗って約3時間⋯⋯⋯
今となっては懐かしく思い出されます。
3人一緒に帰るなんてもう何年ぶりの事か?
今は皆それぞれバラバラの生活ですからね⋯⋯。
そして、もしかしたらもうないかも⋯⋯なんて思いながら楽しみにしていたんですが⋯⋯
結局は上の娘の仕事が長引いて別行動に⋯⋯⋯。(残念!)
下の娘と二人で先に出かけました。
月に一度、一人暮らしの母の手伝いに帰る様になったのは、何年前からか?
娘二人を家において行っても安心できる様になったのはいつだったか?
考えても思い出せないくらい恒例になっています。
元気でいてくれると言えども、年々「老い」が見える母。
何事もなく毎月会いにいける日々に感謝すると共に、長く続く事を願わずにはおれません。
今回は上の娘の誕生日が近いので、実家でケーキのお祝いをしました。
娘と母のツーショットです。
お茶目な母が「ハッピーバースデー」の歌を娘にプレゼントするという一幕もありました。
私の「歌好き、物作り好き」は母から大きな影響をもらっての事だとつくづく思います。
幼い頃、台所で歌を口ずさみながら晩ごはんの用意をしていた母、
その横で母の歌を覚えようと一生懸命聞いて歌っていた私の姿が、記憶の底から甦ってきました。
この幸せな時間が私の「生きていく力」の根源の一つだったと思います。
「私は娘達にこんな幸せな時間をあげる事ができていたのだろうか?」
自分に問いかけてしまいます。
まだ今からでも、母に、娘に、そして私自身の「生きていくための力」となれるような「幸せな時間」を作っていきたいと思います。
先週の連休も精力的に動き回りすぎて、少しダウン気味( ̄▽ ̄;)
何歳になってもつくづく「じっと出来ない性分」です。
連休は、「実家行き」がメインでした。
丁度娘二人とタイミングが合い、3人揃って行く事になりました。
新婚当初から、旦那は出帳が多く留守がちの生活。
嫁いでいる手前頻繫に帰る訳にはいかなかったけど、
祝祭日とつながった連休の際にはよく帰っていました。
まだ幼い娘二人を連れて電車に乗って約3時間⋯⋯⋯
今となっては懐かしく思い出されます。
3人一緒に帰るなんてもう何年ぶりの事か?
今は皆それぞれバラバラの生活ですからね⋯⋯。
そして、もしかしたらもうないかも⋯⋯なんて思いながら楽しみにしていたんですが⋯⋯
結局は上の娘の仕事が長引いて別行動に⋯⋯⋯。(残念!)
下の娘と二人で先に出かけました。
月に一度、一人暮らしの母の手伝いに帰る様になったのは、何年前からか?
娘二人を家において行っても安心できる様になったのはいつだったか?
考えても思い出せないくらい恒例になっています。
元気でいてくれると言えども、年々「老い」が見える母。
何事もなく毎月会いにいける日々に感謝すると共に、長く続く事を願わずにはおれません。
今回は上の娘の誕生日が近いので、実家でケーキのお祝いをしました。
娘と母のツーショットです。
お茶目な母が「ハッピーバースデー」の歌を娘にプレゼントするという一幕もありました。
私の「歌好き、物作り好き」は母から大きな影響をもらっての事だとつくづく思います。
幼い頃、台所で歌を口ずさみながら晩ごはんの用意をしていた母、
その横で母の歌を覚えようと一生懸命聞いて歌っていた私の姿が、記憶の底から甦ってきました。
この幸せな時間が私の「生きていく力」の根源の一つだったと思います。
「私は娘達にこんな幸せな時間をあげる事ができていたのだろうか?」
自分に問いかけてしまいます。
まだ今からでも、母に、娘に、そして私自身の「生きていくための力」となれるような「幸せな時間」を作っていきたいと思います。
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NoTitle
今日はエッセイ調というか作文調というか・・・。
読んでいてノリちゃんの生きる意味を考えて切なくなったりして。それから自分に重ねてみたりして。
この年になると「どう生きるか」がテーマだよね。
いいことも反省することもあるけど
家族と楽しい時間を過ごすことは何よりの宝物だよね。
お会いしたことないけどお茶目で素敵なお母様。
たくさん笑顔でいられますように。